日本刀の歴史

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平成30年
日本刀打ち初め式

  1. 日時 平成30年1月2日
  2. 場所 春日神社、関鍛冶伝承館(福引は茶屋の前)
  3. 日程
     9;30 修祓の儀
       ※福引整理券配布開始(濃州関所茶屋前)

    10;;00 打ち初め式(春日神社仮設鍛錬場)

    10;10 一般公開(春日神社仮設鍛錬場)

    10;15 仕事始め式(関鍛冶伝承館)

    11;00 福引(濃州関所茶屋前)

    12;00 終了

 

公開内容

  火入れ(火熾し)
    横座が小槌で軟鉄を打ちつけ木に火を点ける儀式

   玉ヘシ
    玉鋼(上質和鋼)を大槌で薄く打ち延ばす作業

   折り返し鍛錬実演 
     報道関係向け公開
     一般公開

 

  

平成30年福引会場
平成30年福引会場


※画像をクリックして詳細をご覧ください。

 


日本刀の歴史

武器として発達した日本刀は、わが国独自の文化財であり、わが国を代表する美術工芸品であります。
武士の魂をあらわすものとして恩賞、下賜されてきました。
また武運長久を願い神社等に奉納、献上されご神体、ご宝刀として大切に保管、崇め 奉られてきたものが現存し、現在日本刀研究に役立っています。

上古刀

奈良時代の刀は平作りの直刀が作られていましたが、安平時代後期にいたり反りのある現在の形状へと変わっていきます。

太刀の時代 奈良
平安
時代

小鳥丸 
伯耆国安綱 (平安期)
山城 三条宗近 (平安後期)
備前 友成(平安後期)

白長覆輪太刀(宮城県国指定文化財

古刀

鎌倉期にはいると武家社会の成立によって、武器としての刀剣の制作技術は飛躍的に発展しました。腰反りの太刀のように大きく反り返った形が特徴的な形状としてあげられます。この反り具合も時代が下がるにしたがって浅くなり、特に元寇の役を経験してからは、戦法に変化が生じ、その結果、刀の形状にも集団戦に即した笠木反りといわれる刀身の中央部で反る形状に変化していきます。

 

太刀の時代 鎌倉
南北

長船光忠(鎌倉中期
長光(鎌倉中期) 
粟田口吉光(鎌倉中期)
正宗(鎌倉末期) 
貞宗(鎌倉末期)
兼氏(南北朝)

 

南北朝を境として日本刀の形状に大きな変化が認められる

 古刀

国内は乱れ、打ち続く戦乱のこの時代が一番武器としてその本領を発揮した時代と言え、現在名前を残す名工もこの時代に活躍した名人が多く輩出されています。
時代はまさに戦国、日々戦闘に明け暮れ、鎧の上からも貫通できなおかつ折れずに切れ味の良い実用上もっともシビアな要求が求められた時代といえましょう。

 

太刀の時代

南北朝

室町 
戦国時代(慶長年間まで)

村正(室町中期)
2代目兼元(孫六)(室町中期) 連綿と続く兼元銘のうち2代目兼元を俗に孫六兼元と呼び銘に孫六の刻銘はないものが正しい。

 

 

軽量化、単尺化が進む

移行期

室町中期

打刀の時代

前期新刀

日本刀の世界では慶長年間を境として顕著な差異が認められます。慶長以降に製作された刀を新刀として分類しています。新刀初期では切っ先(帽子)の大きさが比較的大きい姿が特徴といえます。

 

打刀の時代 桃山、江戸初期から江戸前期まで 明寿
国広
忠吉

後期新刀

新刀も江戸中期以降には切っ先が小型化し。反りが浅く、いわゆる優しい刀姿が特徴といえます。

 

打刀の時代 江戸中期から宝暦末ごろまで 虎徹(江戸中期)新撰組近藤勇が使用していたことでも有名
真改
助広

 

南北朝以後2度目の日本刀形状に大きな変化が認められる時期である。

新刀

新々刀

江戸時代中期以降はロシア、イギリスの戦艦が来航して通商を要求するなど、世情も騒然となり、刀にもそれまでの優しい姿は次第に消え、身幅が大きく強さを感じさせる造りとなってきました。

 

打刀の時代 江戸後期以降(天明ころから幕末まで) 水心子正秀
清麿
直胤
    明治9 廃刀令
藤原正明 現代刀

現代刀

現代刀の素材としてはたたら製鋼で造られた玉鋼、その他古釘などから再生した和鋼のみが認められ、近代製鋼による洋鋼は日本刀の原料として認められていません。

 

打刀の時代 現代 刀匠とは資格のある同一刀匠のもとで修業、鍛錬を重ねた後、文化庁の承認試験に合格して、認証を受けた者を刀匠(現代刀作家)と呼び、資格を有する者は現在300〜400人います。その中でも、約100人ほどが、展覧会等に出品するなどして積極的な制作活動をしています。
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